EVE Onlineで航海をする一人のAmarr人社長の記録
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先日、神聖同盟とオスマントルコ帝国との間に戦争が起こった。
「レパントの海戦」
我がイスパニア王の弟、ドン=ファン様が率いる神聖同盟艦隊とアリ=パシャ率いるオスマン艦隊が激突した。
東地中海は危険海域と化し、東地中海の考古学者らは非常に困ったであろう。

私はというと、我が船「ネグロ・エスペランサⅡ」(ラ・レアル)を準備したが、コレでも私はイスパニア使節であるため、後々のためにも参加が許可されなかった。オスマントルコとの交渉の上で、私の評判を落とすわけには往かないのである。

私はアラビアンガレー「ネグロ・エスペランサI」に乗ってイスタンブールへ急行した。オスマントルコの情勢と、キリスト教国への降伏を促すためだ。

まずは、アテネにいたトルコ商人たちの話を聞いた。
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「ああ、大して驚くことではなかったよ。キリスト教徒らが来るのは予想できたさ。なんでもこの戦いにはアルジェの海賊、ハイレディンが参加しているそうな。」トルコの商人は言う。彼の背後には彼の用心棒がいた。キリスト教徒である私を軽く睨んでいる。私の信仰心は最近薄れるばかりではあるが。
「今は休戦中であるから確かに東地中海は危険ではあるが、軍船が出てくるということはなかろうよ。まぁ、商売はしづらいがね。」
もう一人の商人が言う。
「それより、トルコ絨毯に興味はないか?あんた、紡績商だろう?イスタンブールで安く卸すぜ。」
調子のいいことを言う商人だ。トルコ絨毯すばらしい絨毯ではあるが、如何せん高すぎる。安く卸すと行ってはいるが、彼らの商売のスタイルから言って、相当ふっかけてくるだろう。
「いや、結構。これから届け物をせねばならんのでな。キリスト教徒である私に話してくれるとは。テシェキュレル!(トルコ語でありがとう)」
私は流暢なトルコ語で別れを告げる。あの商人はいいやつだ。個人個人をみればトルコ人はいいやつなのだ。むしろ欧州列強の荒んだ人間よりいいやつが多いだろう。トルコから学ぶことはたくさんあるはずだ。だが、国が許してはくれないだろう。

私はイスタンブールへ向かった。
美しいハギア=ソフィア聖堂の横に宮殿がある。
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門に付くと、守衛の男がこっちを見てきた。
「イスパニア使節、フリオ・ビエルサである。スルタンに大事な話しがある。すでに書簡で送ったはずだ。」
私がそう言うと、
「よろしい、通ってよいぞ」
槍を持った守衛の男は表情を変えることなく、門を開け私を通した。

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スルタンのいる間に通してもらった。
薄く髭の生えたこの若い男がオスマン帝国の統治者なのである。
早速、私は任務を果たそうとした。
「私はイスパニア使節の、フリオ・ビエルサであります。我が王の命により貴国に降伏を促すため参上いたしました。」
淡々とトルコ語で言う。
「貴国は、先日の海戦でシロッコ隊壊滅など、大きな被害を被ったはずだ。そこで、これ以上の被害を受けたくなければキリスト教徒の奴隷を解放し、降伏をしていただくことになりましょう。」
「そういうわけには行かない。東地中海の制海権は我が国にあるべきなのだ。スレイマン大帝亡き後、この国を再生するには勝たねばならんのだよ。」
スルタンは言う。確かにそうだ。スレイマンのいないトルコは大きく力を失った。昔の面影はない。
「ですが、この戦いで完膚なきまでに負ければ、トルコはもうもちませんぞ。」
私はイスパニア使節でありながら、余計なことを言ってしまったと後悔した。スルタンは私の目を見てこう言った。
「このまま戦わずして負けるわけには行かない。近いうちに戦いは再開される。そして、このまま負けることはない。」
スルタンは続ける。
「貴殿は国に帰り、王弟に告げるがよい。オスマン帝国はまだ落ちぬとな。」
そう言ってはいるが、彼の目の中に自信を感じられなかった。

私はセビリアの王宮へ戻った。途中オスマン艦隊に襲われるのではないかと心配したが、何もなかった。

レパントの海戦は続く。オスマン帝国が弱体の一途を辿るだろう。
どうであれ、我がイスパニアの栄光を願おう。

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新しい副官を雇った。
ハンス・ゲーンシャーというネーデルラント人だ。彼は機織り・縫製のプロである。なんといってもネーデルラント人だ、織物の知識は抜群にある。これからは彼もつれて航海に出ることになるだろう。
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この前までつれていた副官、シャルロット・エーメは能力不足が顕著であり、解雇した。まったくできの悪い女だった。

さて、今回は我がイスパニアの開拓地「トルーヒヨ」にて大きな発展があり、新たな帆の製法が開発されたとあり現地に赴いた。
昔のトルーヒヨは酷かった。何もないただの補給港程度のものであった。しかし、現在中規模の港として発展した。
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食堂の飯の値段が高いのが気になったが、気にするほどでもない。

さて、帆を作る。
大ラティーンセイルや大スクウェアセイルなど、最近発見された製法の船に使う部品を大量に作った。非常に忙しかった。
商会員と共に量産化に成功したのは良いが、
絵(SS)を残しておくのを忘れた。!!
とにかく、私が製作した帆で、新造船が作られ海に出ることも近いだろう。近々、新造船の報告をしよう。

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マスカットで、アル・ガウリという男からインド語を教わった。
(この男の詳細がわかりません。ご存知の方がいたら教えてください!!)
前にインド洋でインド海賊を襲っていたころは、ジェスチャー(身体言語)でなんとかやり取りをしていたが、交易をやるとなると、言葉を知っていた方が楽である。

マスカットから一路、イスパニア同盟港「カルカッタ」へ向かう。
カリカットではない。私はよく言い間違えるが。(言い間違えませんか??w)

さて、カルカッタについた。
交易所には生糸が並んでいた。非常に細い繊維である。
生糸は何から出来るかは皆知っているだろう。

それでは生糸から何が作れるかを記しておく。
私はここでジョーゼットとベルベットを織ることにした。
まずはジョーゼットを研究した。生糸2巻と刺繍糸1巻でジョーゼットが作れる。このレシピは「織物秘伝・高級生地の書」に記されている。
ベルベットは有名であるが、ジョーゼットは知らないものもいるだろう。詳しく記しておく。

<ジョーゼット>
ジョーゼットとは薄地透明で、縮緬ジワのある絹布のこと。
ジョーゼットは薄く、透けてみえる、細かい縮緬ジワのある生地。強く撚った糸を縦横に織り出し、比較的密度のあらい平織を元来はさしていたが、ほかの織りでも縮緬の風合いを出している。モスリンに似たものである。
用途として有名なものは、トルコのオリエンタル・ダンス(ベリー・ダンス)を踊る者が身につける服の材料である。ちなみにその服は「インド民族の衣服縫製法」に記されているが・・・
名前がラクスシャルキとある。
コレはおかしな話だ。
ラスクシャルキはアラビア語で「東方の踊り」だ。
これはオリエンタル・ダンスをアラビア語で言った意味なのである。服の名前はしっかりとあるはずだ。私の所有する本の中で発見することは出来なかったが。(KOEIさん教えてください。というか、こういう適当な名前のつけ方はどうかとw)

そして、ベルベットも織った。インドの交易所店主はイタリアのこの織物を大変高く買ってくれる。インド王族の間に需要があるのだろう。

さて、ベルベットについてだ。
<ベルベット>
ベルベットとは絹で織られた織物の一つで縦横1本ずつ交差させる平織か、2本おきに交差させる綾織が通常で、縦横どちらか一方、あるいは両方ともに羽毛(パイルという)を作る糸を用いる。
品のある光沢が好まれ、ドレスや帽子や高級衣料に用いられる。
庶民の手に渡る代物ではない。

ちなみに私が他国に渡るときに着用する、この美しい服、
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シェルワーニを着ている。これもインドの民族衣装で、王族の者が着るようだ。シルクに金糸の刺繍が施されている。すばらしい服だ。もし欲しいものがいれば作って差し上げよう。そのかわり材料とレシピはそちらで用意していただこう。なにより金糸の材料が手に入らない。

さて、カリカットで織物を織り続けるぞ。いや、カルカッタか。

今日は南米に行かねばならない。まず、その準備のためイタリア北部の港、ジェノヴァで向かう。
ジェノヴァは織物を作り出す大きな港である。
私はそこで名産品のベルベット織を積み込んだ。
ベルベットはすばらしい織物である。私の縫製技術では織ることは出来ないが、近く研究するとしよう。その詳細は後日掲載する。

今回、南米に行くのには理由がある。植民地のリーダー、バルボア殿の護身用のマスケット銃を届けるためである。私は紡績商であるが、過去に運び屋をやっていた。火器の扱いには慣れているのである。(過去記事:http://blog.livedoor.jp/esperanza_galley/archives/cat_50016567.html
ベルベットとマスケットを大量に積み、セビリアから一路、南米へ向かう。護衛にヒゲ・バルバロッサ殿についてもらう。
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ヒゲ殿のおかげで安全に航海を終え、ポルトベロに。
南米の町、ポルトベロ。パナマと呼ばれる植民地方の街である。ここではイスパニア語が通じる。イスパニア人の往来も多い、いい街である。酒もうまい。行ったことのない者はぜひ行ってみるといい。

ポルトベロで、バルボア殿に品を渡した。
「おお、これでどんな獣が来ようとも安心だ。助かったぞ。」
バルボア殿は言った。
彼は開拓者として優れているが、狡猾な人間に思えた。
黄金の産出場所の話を熱心に語った。情報はあるそうだ。
これは本国に帰り報告せねばならないだろう。彼は黄金を独占しかねない。私はそう考えた。
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ここでバルボア殿の略歴を。
<バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア>
彼の家は貧しい貴族の家であった。
彼は一時期エスパニョーラ島にいたが、パナマに移動。
ポルトベロで食糧不足や現地人の襲撃に悩むイスパニア人たちのリーダーとしてすばらしい才能を発揮する。期待の若き提督である。



ここまでが多分現在のゲームで書かれている部分。
これからの彼の歴史を一応書いておきます。
彼はその後、南方にある黄金の産出地(現在のペルー)の情報を得、
征服に向かう。このとき有名なピサロを部下としている。
そしてパナマを原住民の案内で横断し、バルボアは太平洋を発見する。
黄金の発見には至らなかったが、偉大な冒険者として彼は称えられた。
しかし、彼はこの探検中虐殺などを繰り返しており、現在の評価はいいとはいえない。
このあとイスパニアはバルボアのリーダーシップを危惧し、新たな提督ぺドラリアス・ダビラを送り込む。ダビラとバルボアはそりが合わず対立。バルボアはイスパニア王に十分な上納品を送っていたため、このときはバルボアが主導であった。
そして、バルボアはその後新たな黄金の地の情報を得、探検へと向かうが、ダビラに召還され処刑される。
処刑理由は国王への反逆罪であるが、これは形式的なものだった。
このときバルボアを捕まえたのは、元部下のピサロであった。
これにより太平洋の発見者、バルボアは人生を終える。

ちなみに、現在のパナマの通貨はバルボアである。



私はポルトベロからカリブを経由しメノウなどを積んでセビリアへ帰った。パエリアが食べたくなった。

さて、私の航海記録を読んだものは、ここで印を押すべし。




このたび、王宮からの命によりイスパニア使節となった。私の使命は主にトルコとの外交を行い、中東の脅威を感じることなく他の列強をイスパニアが打破するのを手助けするのである。
(はい。そうです。勝手な設定です。完全なロールプレイです。実際そんな職業はありません。)

私はトルコに関する知識に富んでいる。
ギリシア発掘の際にいろいろな書物を読んだ。また、副官、イクバールのおかげでトルコ語も堪能である。また、イスパニア人にありがちなイスラム教徒を蔑視するような考えを私は持っていない。むしろ、イスラムの文化は注目すべき点が多く非常に興味深いと考えている。もちろんこんな考え方はレコンキスタ当時であれば危険視されたであろう。
これからは、この日誌にトルコの研究を書き記しつつ、さまざまな国を行き来し外交に務めたいと思う。イスパニアのすばらしさをさまざまな国に伝え、他の国の文化の研究をしていくつもりである。

私は任命を受けた後すぐに、チュニスへと向かった。
チュニスとはどんな街であるか。ここで簡単な説明を。

<チュニス>
チュニスは古代フェニキア人によって建設された、古代ローマ時代のカルタゴ近郊の町。ポエニ戦争で戦場となったチュニスは完全に破壊された。そしてその後、7世紀にはウマイヤ朝が占領を試みカイラワーンが建設され、アッバース朝がここを拠点に北アフリカの占領をするがベルベル人の抵抗により失敗。その後、ハッサン・イブン・アル=ヌマン率いるイスラム軍がビザンチン軍を破ってカルタゴを占領する。そしてベルベル人も倒し、これによってチュニスはイスラム教徒によって開拓されることとなる。
アグラブ朝を滅ぼしたファーティマ朝がマハディアを中心にシーア派の王国を築き、その後、首都をカイロに移したため、チュニジアに残ったベルベル人のブルッキン・イブン・ジリは、ジリ王朝を築いて繁栄する。ところが、ファーティマ朝を裏切ってスンニ派に改宗したため、大軍に攻略される。そして、チュニスは、一時期キリスト教徒のノイマン人に占領されるが、モロッコのムワッヒド朝が奪還して支配することになる。
ムワッヒド朝のイフリーキーヤの総督であったアブー=ザカリヤーが、ムワッヒド朝がキリスト教徒の傭兵に頼らざるを得なくなって、自らの宗教的権威を否定したことに対し、同王朝の存立理念であったイスラム復興運動、ムワッヒド運動の真の教えと精神を守るという名目で、1229年にアミールの称号を名乗って独立した。 これがハフス朝である。ハフス朝はチェニスを首都とし、たくさんのモスクを建設。また、マドラサ(宗教学校)も建設する。イスラム圏からの巡礼者や商人が集まり、チュニスは大都市として繁栄する。
そして16世紀にオスマントルコ帝国の傘下となる。オスマントルコ帝国の地方総督であるパシャ(太守)の権力は次々と変わり、実際には地元総督であるベイが統治していたようである。イスパニアのレコンキスタ運動がにより、アンダルシア地方に住んでいたムーア人がチュニスにに移り住んだようである。
そして現在、投資によりチュニスはイスパニアの同盟港である(ここだけゲームの歴史)


私はとりあえず、太守のムライ・ハサンに会ってきた。
「これはこれは。イスパニアの使節殿。用件は何でしょう?」
太ったハサンは言った。
「イスパニアとの同盟関係維持のため投資に参った。」
私は言う。使節であるが投資する金は私のものである。これも外交手段の一つである。同盟維持のためなら仕方あるまい。
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この投資は赤字なわけでもない。ここは麻生地の産出場所で、私のような紡績商には欠かせないものである。特に麻生地は船の帆の素材であり、海軍力で土地を広げるイスパニアにとって絶対に欠かせないものである。その提供も投資の見返りとして約束されている。
それなりの量を投資すると申し出た。6万ドゥカートを渡す。
「足りないですぞ。これでは麻生地は提供できない。」
ハサンは言う。ふざけたことを。まったくイスパニア人の金は無尽蔵にあるとでも思っているのだろうか。
さらに6万ドゥカートを提供すると申し出た。
「足りないですな。」
なめられている。しかし、麻生地が手に入る港は少ない。しかたあるまい。さらに6万。
「足りない。」
繰り返しだ。
「ふざけるな!イスパニア人を馬鹿にしておるのか!」
私は声を上げた。が、狡猾なイスラム教徒は聞く耳を持たない。
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結局また6万ドゥカート渡してしまった。
「すばらしい。あなたは街の恩人だ。麻生地を提供しましょう。」
なめられている。確実になめらている。

というわけで今日の任務は終了。オスロに戻りまた機織りを始めよう。

そうえば、昔の航海日記の場所を記していなかった。
旧航海日記はここにある→http://blog.livedoor.jp/esperanza_galley/

ここ数日、織物の技術を学ぶため本を買い、機械で織っていた。
ニットなどが中心であった。
ニットとはとてもポピュラーなものであるが改めてここで紹介しておく。

<ニット>(縫製rank4で織れます)。
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ニットというのは俗称であり、正確にはメリヤス編みと呼ぶ。(多分スペイン語ではメディアスですが、わかりづらいのでここではメリヤスとします)
メリヤスの歴史は古く、古代エジプトで原型となるものが作られている。近年(大航海時代から考えて)では英国人の聖職者であるウイリアム・リーという男がメリヤスの靴下を織る機械を発明している。
織り方も単純で、肌着・靴下等に使われている。

私は、このニットからニットキャップが作れる。もし必要な航海者がいたら連絡をくれればすぐに作ろう。
この帽子は暖かく、北方の航海には欠かせないだろう。

今、私は北欧のオスロという町にいる。
北欧の中心街のひとつで、林業なのが中心である。
さらに織物の材料となる繊維の取引が盛んで、亜麻を買い、レースにして売っている。

ここでレースの話を。
<レース織り>
レースの歴史も古く、古代ギリシアやローマで、衣服の補修や装飾のために使われた糸をかけて模様を作るのが始まりとされている。
近代のレースは、フランドル地方で開発された編み方がイタリアで発展したものである。非常に美しい作りである。

ちなみに、レースは機械織りはできないので船員と共に手で織っている
(この時代にはレース折機は発明されていません)

しかし、たいした利益にはならない。どちらも珍しいものではないからであろう。たくさんの紡績商がオスロを訪れ、レースなどを売っている。相場もけしてよくない。
osuro

まぁ、当分はここに残るつもりではあるが。

インドから欧州へ戻った後、再度インドへ。
インド海賊などを討伐し武功を上げるためである。
そして新型改造船、ラ・レアルの実力を試す目的もあった。
結果は上々、そうとうな数の船を拿捕、拿捕した船から押収した金貨、物品、そしての総額はざっと一千万ドゥカートとなった。一財産これで稼げた。そしてこの討伐は私にたくさんの経験を与えてくれた。
船員と共に突撃する技術、剣術、操舵の技術が非常に向上した。
イスパニア王宮が爵位を下さるそうで、帰還することにした。
インドの主要港であるカリカットで新たな副官を雇った。
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フランス人の女軍人である。
私の第一の副官イクバールと共に船員の指揮を執ってくれると期待した。ところがこの女は役に立ちそうもなかった。多少、期待しすぎたのかもしれないが、とにかくセビリアに帰った後解雇した。
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王宮で私は准五等勲爵士となった。
私は考えた。このまま私掠活動を続けたとしても国に貢献できない。
なぜなら今欧州各国は海賊行為をつぶそうとしている。イスパニアも例外ではない。私は一度違う稼業をすることにした。以前、私は運び屋をしていたが今度は紡績商となることにした。
私の父親の稼業が帽子屋で多少織物には知識があるからだ。(設定上、フリオの父は帽子屋です。)

今はもう剣と火薬で世界は回っていない。すべては金で動かされている。イスパニアに貢献するには悲しいながら金を稼いだほうがいいのかもしれない。しかしいずれ私は私掠海賊にもどるであろう。いや、たぶん私は賞金稼ぎになる。他国の海賊を撲滅し海賊から金品を奪う賞金稼ぎに。それにはまず大量の大砲が必要となる。となると金だ。紡績業で稼ぎ、砲を買い、敵国の海賊を討伐する。私はそうすることにしよう。
(正直、私掠海賊はやっていけないっす・・・当分紡績で稼ぐことにしやす。)

副官のイクバールは解雇しなかった。彼も紡績業に興味があるようで、織物の取引に関してはいろいろと知識があるようである。また海で戦うことがあれば彼は非常に信頼のおける副官であるからでもある。
新しい副官を雇うとしよう。紡績業の知識が豊富な奴を。

機織機を商人ギルドから借り(縫製スキルのことです)、これからは織物を織り、それを売ることとする。

今日はこのあたりで書くのをやめるとする。

このBlogは大航海時代Onlineというゲームを舞台にスペイン人の航海者フリオ・ビエルサが書いた日記として書いております。
よって、基本ロールプレイで書いております。ロールプレイがお嫌いな方は読まれても何も面白くないと思われます。

まずスペイン人航海者フリオ・ビエルサという男の略歴を。

フリオ・ビエルサはセリビアの金持ちでもなく貧しくもない家に生まれる。親の稼業は帽子屋である。彼は幼いころから絵画や他の芸術品に非常に興味があり、また、ローマやギリシャの英雄伝にも大変興味を持ち小さいころから読みふけっていた。19才になったころ、彼は航海に興味を抱き始めた。
そして、セリビアにきている船に交渉し船員として航海に出た。
その船はヴェネチアへ向かう交易船だったが、フリオにとっては好都合だった。子供のころから好きだったローマの勉強がヴェネチアではできるからだ。彼はその船をヴェネチアで降り、そこでローマの研究をしている学者を探した。何とか見つけた学者、ロレンツォ(メディチではない)というの元で考古学を勉強し東地中海を中心に古代ローマの研究を始めた。そして、研究を始めて15年、フリオが35才になったころ、母国イスパニアにその研究の功績をたたえられ郷士の爵位と、船を提供された。小さな船であったが彼が自ら持つ最初の船であった。彼はその船をエスペランサと名づけ母国イスパニアの命を受けまた東地中海へ戻りローマやギリシャの研究に励むのでった。

しかし、学者稼業では稼ぎがたらず困っていた頃、海賊に襲われそれを船員と共に撃退。自信をもったフリオはイスパニアの私掠海賊募集に応募、私掠許可を得、ラスパルマスおよびカリブでの海賊行為を行った。

ところが、9月1日の勅令により賞金の増加、および上納品使用許可により稼ぎが著しく低下したため海賊稼業を一時中断。現在、親の稼業である帽子屋に関連する紡績業で稼ぎを得ている。

その後、ベンガル湾で一時消息を絶つが、彼は生き延び貴族となる。


Julio Bielsa(13世)
Julio_face.png

大航海時代の海賊であり成功した紡績商であったJulio Bielsaの子孫。
Julioの稼ぎによりイスパニア、バスク地方の貴族となったBielsa一族はイスパニア海軍において力を持ち繁栄を極めた。

宇宙開発の時代となり、Bielsa一族は力を失った。

しかし、時は流れ、EVEのBielsa一族はAmarrの入植者となっていた。

一族の長であるJulio Bielsa(13世)は海軍特殊部隊のリーダーとして主にステーション内での仕事に従事していた。
特殊部隊時代は「アマールの剣」と呼ばれ、指揮官として力を発揮。
そしてこの度、Amarrの民の中でもエリートである、パイロットとして起用されることとなった。

彼はBielsa一族の復興を目指し、Amarrの新たな領主になろうと画策している。

最近、同じような生い立ちのOkome(http://pub.ne.jp/EVEONLINE/)に出会い彼女のCorpに加入している。


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