EVE Onlineで航海をする一人のAmarr人社長の記録
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インドから帰還しセビリアをぶらぶらしていた。
商会員とトチエ(とちえ)殿からの依頼で船の部品をカリブまで行き製作しに行った。開拓地での製作しか許可されていなかった。

帆の製作には慣れた。大きく、強い帆が作れるようになった。
そして、またセビリアへ帰る。トチエ殿が作ったマストなどを分けてもらった。船倉に入れておく。大きなマストだ。新しい船を新造するときに使うとしよう。

セビリアをまたぶらつく。銀行の前でサイコ・マイクロ殿に会った。
サイコ殿はイスパニアきっての精鋭で、幾多の戦いを潜り抜け、さらに不審船(中華舟)を襲撃し海の藻屑にしておられる方である。
私が以前海賊をしていたころ知り合った方だ。
サイコ殿曰く、北欧で開発された新型重ガレーが恐ろしい性能を持っているとのこと。その新型船はロンドンかアントワープのみで作られている。あいにく両国ともに関係は悪い。特にイングランドはなんどか商船を拿捕しているので・・・こっそり進入しよう。

船の紋章をはずし、黒龍(我が商会)所属であることを隠す。紋章をはずした中型船で向かう。大型船では目立つことが避けられないからだ。
セビリアから食料と水だけを積み一路ロンドンへ。マリア殿から譲り受けた中型船「コルヴェット」の船足は非常に軽快でたった数日でロンドンに着いた。こりゃあいい船だ。

ロンドンの造船所に目立たぬように歩く。しまった、変装する服を忘れた。手元にはインドのシルクで作った売り物のトーガしかなかった。
nusumimi.jpg

造船所ではさまざまな船が作られていた。目立たぬよう観察する。
設計図さえ見れればいいのだが。如何せん造船の知識がないものでどれがどれだか。まぁ、すでに造船屋に依頼をしているのだが。
アムステルダムの造船屋の知り合いに来てもらった。彼女ならここで設計図を自由に見、造船できる。イスパニア人ではないが、イスパニア人と非常に深い関わりのある方だ。国秘蔵の造船法を提供してもらったため名前は明かせない。(と、まぁイスパの方の2ndなわけですが。)
私が作った帆とトチエ殿が作ったマストとさらにウー(www)殿に作っていただいた船体を使って組み立ててもらうのだ。

造船が終わるまでロンドンに滞在した。霧に覆われどんよりとした陰気な街だ。飯が不味い。とくにハギスは最悪だ。ロンドンにいくようなことがあればハギスはオススメしない。(ハギスについてはここを参照

二十日あまりで完成。今回はご好意で大変安く造船してもらった。感謝せねば。しかし、基本価格が高かった。海賊時代に稼いだ金をすべて合わせても買えるものではなかった。いまは紡績商であるから何とか金に不自由はなかったが。
さぁ、新造船にのって出航。帆を染め忘れたが、まぁよい。紋章を掲げそそくさとロンドンを出航。追われたとしても追いつかれまい。


なかなかいい滑り出しだ。これなら海賊船としても使えそうだ。
この船には大型の特注ラム(酒ではないぞ)がついているそうで、そのラムを食らったらどんな船でもひとたまりもないそうな。
非常に興味深い。今度いろいろと調べてラムの研究レポートを書くとしよう。

イスパニアのために他国船を沈めることになるかもしれない。

長くなった。今日はこのあたりで書くのをやめるとする。

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私はまだインドに留まり織物を織っている。
当初、仕立道具(ベルベットなどに使う刺繍糸を作るときに必要)が切れたらセビリアに帰る予定であったが、カリカットで仕立道具が珍しいことに手に入ったので長く滞在している。

特に書くことがないので、今日は私の話す言葉について記しておく。
私はセビリア生まれであるが、両親はバルセロナ生まれである。
そのため私の言葉はカタルーニャの訛りがある。
「あっしの言葉はカタルーニャ訛りですぜ!」
こんな具合だ。(というロールプレイをゲーム中繰り広げています。)

カタルーニャ語はバルセロナ、バレンシアやパルマのあたりで使われている。セビリアでカタルーニャで喋っても通じない。
さらにあまり好ましくないとされる。(大航海時代での話。現在はどうかわからない。)
私はセビリアで育ったため、意識をすれば流暢にイスパニア語で喋れるが、日常では訛る。

ちなみに、両親の育ったカタルーニャの地域はカルタゴの名将、ハンニバルを輩出した、バルカ家の領土であった。カルタゴのことはハミルカル・バルカ殿の航海日誌を読めば深く理解できるであろう。http://hamilcar.blog64.fc2.com/

インドで酒とカレーを食べている。
なかなかうまい。いずれこれも日誌にて紹介しよう。
sake.jpg


さて、私の航海記録を読んだものは、ここで印を押すべし。



レパントの海戦が終わり、私はインドにいた。
カルカッタの生糸でベルベットを織っていた。
いつ見ても美しい織物である。
そして、私はベルベットを織り続けることにより、
rank15.jpg

となった。免許皆伝である。
あとは商人ギルドにマスターピースを見せ、製品の品質、規格、価格を判断してもらい、認められれば、晴れて「親方」である。
今までは私は紡績・仕立の世界では所詮「徒弟」だったのだ。

ギルドというものの歴史は古い、ドイツで生まれたツンフトなどが有名である。「親方」が「徒弟」・「職人」を指導し働かせるのである。非常に排他的なものであり、親方になるのは非常に難しい。
高い技術がなければ親方にはなれない。

さて、私はこれから一級仕立て師を目指そうと思う。
紡績も出来る上に、貴族や豪商に高価な服を売れるのである。
それだけではない、最近、軍人の間でジュストコールと呼ばれているものが流行っている。
少し前の貴族が隠した財宝があり、その中にあるアドミラルジュストコールを秘伝の染色法で色を染め仕立て直したものが流行っている。
なんでも水平射撃術や操舵術の技能が上がるまじないが施されているといわれている。
なんといっても美しく凛々しい服のようだ。

これは貴族の間で認められた仕立師でなければアドミラルジュストコールを染めることは出来ない。
非常に高い技術と染めの知識が必要だ。

その秘伝の染色法が書かれた本の写本はいまリスボンなどで高い値段で取引されている。とても私には手が出ない。
アドミラルジュストコールも骨董品であるためさらに値段が高い。
もちろん買うことは出来ない。

なんとしても染め方を学ばねば。そして商会のメンバーに染め直したジジュストコールを提供せねば。

資金はないが、技術はある。誰かこの技術を買ってくれるといいが。


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